我が家の制作をする部屋のカーテンはほとんど開く事がありません。
しいていうなら、窓を掃除する時とカーテンを洗う時位しか部屋に陽の光が入りこむ事はないです。
ゴッホみたいにアーティスティックな人は情緒不安定で、強い光が苦手なんでしょ?みたいに言われる場合がありますが、そうじゃない。
偏見です。
全くもって違います。
なぜかというと、理由は2つあって1つ目は紫外線による作品の劣化を防ぐため。
もう1つは、“アトリエは北側に作れ”と言われる位、太陽の動きによって色の見え方が違ってくるからです。
何年か前にSNSで話題になっていた、着ている服は青に見えるのか白に見えるのか問題があったと思いますが、それぐらい光とその周囲の環境が色の見え方に影響を及ぼすからです。
なので、部屋のカーテンも通信販売で購入した遮光カーテンを使用しています。
ただ、樹の影が透かして見えるカーテンが遮光カーテンかどうか疑わしい気持ちはありますが…。
私は何かを間違えたかもしれない…。
次に買い換える時は、何の影も映らないカーテンを吟味しようと心に決めております。
そんなに神経質に光に対して考えるようになったのは、私自身が若い頃に数多くの失敗を経験しているからなんです。
1番印象的だったのは、当時私の通っていた高校は、随分昔に元は1つだったんですが2つに別れた高校が近隣にありまして、美術教師は両校を掛け持ちで教えていたんですね。
それで、高校2年生の時に初めて教員免許を持って美術について学んだ先生が赴任してきたんです。
その先生が本当に真面目で熱心な先生で、何処かから私が美術大学に行きたがっている事を聞きつけて、主に籍をおいている近隣の高校で絵を見てあげるよと誘ってくださったんですね。
多分、当時は父に美術の道に進む事に反対していて美術予備校に通わせてもらえずに、仕方なく近くの子供向けの(主に小学生以下対象)絵画教室に母が頼み込んで週1回ほど通わせてくれてくれていたのですが、そんな環境だったので不憫に思われたのかもしれません。
周りを見ても数少ない美術学校を受験したい皆さんは、美術予備校に通われていたみたいですし。
そんな経緯があり、放課後は徒歩数分の高校の美術室に通っていたんですが、何故かその日は美術室に他の生徒が誰もいなかったんですね。
その時、あっ。チャンスだと思いました。
当時、図書館で借りてきた本の中に石膏像は光を意識して描く。
みたいな事が書かれてあったので、これは太陽光で描けるチャンスが来たんだぞと感じずにはいられなかったんです。
それで、室内の照明を全部切って石膏像を描いていたら辺りが段々暗くなって、どうしよう画面がよく見えなくなってきたなと思いながらもまだ完成してないからと描きすすめてしまった経験がありその時、色の見え方が変化する事がよくわかりました。
その失敗から光を決めて描く事と光の変化の少ない環境の大切さを知りました。
どうでもいいですが、デッサンをしている途中で美術の先生を探しにきた別の教師が扉を開けた瞬間、目があって恐怖におののいて去って行ったのを鮮明に覚えています。
そりゃ そうなりますよね。
暗がりに自分高校の制服と違うセーラー服を着た女性生徒がいたら、私だって幽霊かと思ってしまいます。
まだ、今もって足もちゃんとついているし息もしているので、幽霊になりきれていませんが。
それからも制作を続けて、また、光に関する失敗をしてしまいます。
制作を続けていると、他者の評価とは関係なしに自分の中で重要な意味を持つ作品が生まれてくる事があります。
そんな作品は、自分にとって新しい目線や気づきをもたらしてくれる物です。
なので、壊さずに大切に保管しているつもりでいました。
遮光カーテン(多分)まで買って光は阻止しているし、湿気対策も万全だし。
これで安心だと少し慢心があったのかもしれません。
時間が経つにつれて、地塗りをしていない部分が黄色く変色してしまったんです。
何でだろう。
あんなに万全にやったのにと悲しい気分になってしまいました。
それで、ふと気づいたんです。
我が家は蛍光灯のままだったなと。
感のよい方ならお察しの通り、蛍光灯にも紫外線が含まれていたんです。
頭では知っているつもりでいたのですが、実感を伴って理解していなかったんですね。
そんなわけで、少し黄ばんだ絵画が戒めの如く現在も部屋に飾ってあります。